なぜトップ柔術家はレスリングをするのか――、スポーツデザインラボ・清水聖志人コーチに訊く
なぜトップ柔術家はレスリングをするのか――、スポーツデザインラボ・清水聖志人コーチに訊く
Interview
柔術家が、競技レベルの向上を目的にレスリングを取り入れている。
もちろん、これ自体は今に始まった話ではない。
今も昔も、キッズから大人まで、柔術とレスリングの練習を併用する競技者は一定数いる。
とくにキッズの場合、通っている道場にレスリングクラスがあったりすると、意図せずハイブリッドな選手として成長していたりもする。
しかし、近年、柔術界におけるレスリングの重要性は、明確に語られるようになっており、これを裏付けるように柔術家に向けたトップレスラーによるクラスやセミナー、オンライン教則が盛況である。
そんな折、都内大田区の久が原には、橋本知之、大柳敬人、平田孝士朗、世羅智茂といった国内トップの柔術家達がレスリングに取り組むスポーツクラブがある。
彼ら柔術家達は、レスリングに何を求めて通っているのか――。
今後、競技柔術で結果を出したい選手であれば、自身を強化する選択肢の一つとして絶対に知っておきたいテーマだろう。
日によっては、マットスペースが柔術家で溢れることもある「スポーツデザインラボ」の清水聖志人コーチに現状を語って頂いた。
橋本知之がレスリングを習うスポーツデザインラボ。今夏、宮崎では、橋本も講師となってレスリング×グラップリングのキャンプが行われるというから楽しみだ (C) Sports Design Lab
――本日は、柔術家達がレスリングを積極的に取り入れている現状について、「Sports Design Lab(スポーツデザインラボ)」の清水聖志人コーチにお話を伺いたいと思います。
清水:はい、よろしくお願いします。
――まずは、「Sports Design Lab(スポーツデザインラボ)」というクラブについて教えて頂けないでしょうか?
清水:今は総合型の地域スポーツクラブっていう形をとっています。大田区でスポーツを通した地域コミュニティを創ることを目的に、幅広い世代に複数のスポーツをそれぞれの志向に応じて提供しています。種目としては、主にレスリングとグラップリングと体操の3つですね。
――その中で、清水コーチの職務というのは、どのようなものになるのでしょうか?
清水:スポーツデザインラボは、日本レスリング協会でアスリート育成事業を担当していたメンバーやスポーツ科学者、スポーツビジネスの専門家とともに設立しました。
ちょうど3年前に大田区にスタジオを設置しました。私は、経営者、スポーツ科学者、コーチとしての立場でクラブのトータルデザインとコーチングを担っています。
――中心になる種目は、レスリングでしょうか。
清水:そうですね。メインはやっぱりレスリングですね。
――本題になりますが、現在スポーツデザインラボには、橋本知之、大柳敬人、平田孝士朗、世羅智茂といった国内トップの柔術家が多数通っています。彼らがレスリングを習うようになったきっかけは何でしょうか?
清水:きっかけは、私達がスタジオを構えてまだ全然会員さんがいない時だったのですが、そもそもコロナでうちの中村(中村未優=女子レスリング50kg級アスリート)が大学とか高校とかで練習する場所がなくなってしまったんですね。
で、苦肉の策で自分達でスタジオを構えようってなって、スタジオプログラムを始めたばかりの時に当時中学2年生だった大野智輝選手(カルペディエム広尾)が入ってきてくれて、私と中村と智輝で練習する機会ができました。
――そんな時代があったのですね。
清水:そうなんです。大野選手はもともと少しレスリングをやっていたのですが、うちに入って急激に立ち技が強くなったと評判になったみたいで、そこから橋本選手が来たり、平田選手や大柳選手が来たりみたいな感じで徐々に広がっていきました。
大野選手は、柔術のトレーニングと併せて、週に2回か3回くらいレスリングの練習をしているのですが、レスリングの試合に出てインターハイ2位の選手と互角の試合をするくらいレスリングの実力も持っています。今では、スポーツデザインラボの一員としてグラップリングクラスのコーチを担当してくれています。
――大野選手は今や指導する立場にまでなっているのですね。
清水:最近だと、橋本選手は特に影響力がある方なんで、SNSでも話題にしてくれて、そこから来てくれる人も増えましたね。平田選手は、練習仲間全員で一緒に強くなりたいと言って、練習仲間の皆さんにもご入会いただきました(笑)。柔術家の皆さんは、柔術の競技力向上を目的に入会される方がほとんどですが、最近はレスリングが楽しいので通っていますと言っていただけて、それが本当に嬉しいです。柔術家の皆さんは、知的好奇心が旺盛な方が多いので、私たちも気づきや学びがあり楽しい時間を過ごすことができています。
ある日のフリースタイルクラス。そこには、大柳敬人、大野智輝、渋谷大輔ら柔術家や、パンクラスで活躍するMMA選手・野田遼介らの姿があった (C) Sports Design Lab
――柔術家達はレスリングのどのような部分を取り入れる、あるいは、どのような技術の習得を目指していると分析されますか?
清水:柔術の方もそうなんですけど、MMAの選手やラグビーの方も来ています。柔術の中でっていうところであれば、もちろん、レスリングスキルもそうですが、それよりも「パフォーマンスピラミット」の土台となるMOVEMENT(基本的な姿勢や動作)の部分の成果が多いように感じます。まずは各関節の動きに加え、全身の連動性を高めることが障害予防やパフォーマンス向上に繋がることを感じていただけていると思います。
――競技に活きるのは、立ち(スタンド)の展開ということですよね。
清水:そうですね。会員の皆さんからスタンドの展開で成果を感じるという話はよく聞きます。レスリングのトレーニングや考え方には、そのナレッジが蓄積されていると思っていて、本当に歴史のある競技なので、世界中でそういう研究がされています。
私自身、アスリートとしての代表経験や引退後に担当したレスリング協会でのアスリート育成事業やスポーツ医・科学のプロジェクトを通して、強豪国の育成・強化システムやプログラムを見てきたのですが、その経験や知見を統合してトップアスリートからキッズ達、他の競技の選手に練習で伝えているのが、今うちの活動のベースになるかなと。
――以前、清水コーチがおっしゃっていたのが、「レスリング=タックルだと思われがちだけど、本当はもっと色んな要素がある」ということでした。
清水:1つは先ほどお話ししたムーブメントっていうところですね。レスリングにはとにかく全ての動作の質が求められます。マットを蹴るとか、止まるっていうのも動作の1つだと思いますし、動きを鍛えるっていうところがすごく重要なのと、あともう1つは、やっぱりコンディショニングです。これも柔術の中で使える要素が多分にありますよね。
――コンディショニングですか?
清水:例えば、柔術の方ってスパーリングして座るじゃないですか。それが柔術の文化だと思うのですが、レスリングの選手が練習中に座るってことは基本的にないんですよね。スパーリングが終わったら、アクティブレスト、動きながら休んで次のスパーリングに備える。いきなり打ち込みとかもないんです。レスリングのトップアスリートは、国が支援して日々のコンディショニングやウェイトコントロール、アンチ・ドーピング等に関してジュニア時代から専門家による教育を受けてリテラシーを身に着けています。この部分もレスリングの資源だと思っています。
――競技パフォーマンスの質を高めるということですね。
清水:マット練習の中でいえば、必ずウォーミングアップの中にリズム体操やマット運動、瞬発的な動き、ステッピングとか、いろんな動きが入ってくるんですけど、心身ともに高いレベルで技術練習や実践練習をできる準備をします。
で、ハードトレーニングが終わったら、クーリングダウンで疲れを残さないで次の練習に備えるっていうサイクルを繰り返すんですけど、運動、栄養、休養のライフサイクルを含め柔術の中でもっとこうした考えを取り入れていくと、日本の競技レベルがもっと上がるんじゃないかなという仮説を持っています。
――以前、橋本 選手は、レスリングを取り入れたことで「トップゲームが楽になった」って言われていましたが、単なる心肺機能やテイクダウンだけのことでなく、トップのパフォーマンスの質が変わってきたということなのでしょうね。
清水:レスリングをやっているからというよりも、スポーツデザインラボでは、せっかく通ってくれている方のパフォーマンスが向上するほうが楽しいので、先述のようなプログラムを提供しています。
普段は、裸足でトレーニングしている柔術家の皆さんにも、レスリングシューズを履いてもらって高いレベルでレスリングに取り組んでもらっています。裸足で少し技術を教わるだけでは、パフォーマンス向上は期待できないと思います。
清水コーチが語るムーブメントやコンディショニング。こうした言葉の本質を考えることによって、柔術競技向上の道筋が見えてきそうだ (C) Sports Design Lab
――なるほど、そういうことですね。
清水:例えば、柔術の中で「ペース配分」ってよく聞くんですよね。自分は体力ない前提で、それをどういう風に配分して戦っていこうかみたいな。
でも、レスリングのトップアスリートは、常にフィットネスレベルを高めるようにライフサイクルを組んでいます。ウェイトコントロールもある中で1日4試合とかあるので、それじゃ戦えないんですよね。
今のあるものをどうペース配分で計算するとかではなく、キャパシティそのものを高めることに貢献したいと考えています。今後は、実技のプログラムだけじゃなくて、スポーツ科学の視点から定期的に座学や動画の配信とかもやっていきたいなと考えてます。
――先日、カルペディエム広尾道場でも、清水コーチのレスリングセミナーが行われましたね。ただ、広尾道場だと、集まっている方は、どちらかというとマスター世代の方が多かったと思うのですが、若い子に比べれば、マスター世代は、体力も全然違うわけですよね。そういう世代に対しては、どのような取り入れ方が考えられるでしょうか?
清水:マスター世代の方は基本的に好きな柔術を長く楽しみたいっていうニーズがあると思います。怪我や、加齢による体力低下や関節可動域の制限等が原因で競技継続の期間や範囲が狭くなることに対して、レスリングのコンディショニングとか、動きを取り入れることで、もっと長く楽しめるってところにも貢献できるんじゃないかなと考えています。
――個人的には、女性の柔術競技者は、男性以上に如実に結果に繋がりそうだなと思ったりもしました。女子選手でレスリングを取り入れている方は、やはり男子選手以上に少ないと思いますので。
清水:うちもどっちかというと、中学生から社会人の世代は、男性が圧倒的に多いので。ていうか、もうほぼ男性なので。できれば、女性が参加しやすいっていうところにも繋げていきたいなってすごく思ってるんですけど。
女子レスリング50kg級アスリート・中村未優。卓越したスキルは必見。キッズや女子選手はとくに、彼女と練習できるメリットは計り知れないだろう (C) Sports Design Lab
――そうですよね。スポーツデザインラボでいえば、中村さんとも練習できますしね。
清水:彼女の存在は、すごく大きいです。アスリートとして卓越を目指す過程を彼女がコーチングしているキッズや保護者、一緒にトレーニングしている会員さん達に見せていくことで、レスリングやスポーツデザインラボのファンを増やしていきたいです。
彼女を通して女性のレスリングやスポーツ参加が広がっていったらいいなってすごく思っています。日本において女性のスポーツ参加率の低さは大きな課題なので、中村の活動を中心にスポーツデザインラボとしてこの課題の解決に積極的に取り組んでいきたいと考えています。
――では、今後の話になるのですが、スポーツデザインラボを盛り上げていくのはもちろんだと思いますが、清水コーチが展望として考えていることはありますか?
清水:現在、スポーツデザインラボは地域スポーツクラブなんですけど、私は、2023年にスポーツデザインラボから分社したCOMBAT LABEL(コンバットレーベル)という会社を経営しています。
レスリングやコンバットスポーツをよりカッコよくする取り組みをNIKE WRESTLINGと一緒に進めていて、NIKE WRESTLINGのシューズやウェアの販売に加えて、特にアジアでのレスリングを中心にしたコンバットスポーツの普及や育成環境整備に向けた事業を行っています。
――コンバットスポーツ。まさに柔術やグラップリングですね。
清水:レスリングは、柔術やグラップリングとの親和性がやっぱりすごく高いので、今、中村も週に1回は大野選手のグラップリングクラスに参加したりしてて、シナジーが出ています。
夏にはレスリングとグラップリングの国際キャンプもやるので、そのあたりをもっと知ってもらいたいというのは、すごくありますね。
――そこも気になっていました。夏のキャンプは、どういうコンセプトなのでしょうか。
清水:コンバットレーベルの事業として宮崎県の日南市でクラブ育成のサポートをしているんですけど、すごく自然も豊かだし、韓国とか台湾を中心にアジアからのアクセスがいいんです。コロナの前は直行便がありましたし、大型客船も入ってこれるんですよね。
その中で、レスリングだけのキャンプを去年もやっていたんですけど、今年はグラップリングとレスリングの相乗効果を狙った内容にしています。グラップリングのコーチングは、橋本選手をはじめ、若い世代の大野選手、UWWグラップリング世界選手権2位のEliot Kelly選手が担当し、レスリングは、中村やオリンピックチャンピオンの志土地真優選手らが担当します。レスリングとグラップリングのトップアスリートが一緒にプログラムを展開します。国際キャンプということで、海外からの参加者が来るので、刺激的な機会になると思います。
――柔術家やグラップラーには有益なキャンプですね。
清水:そうですね。海や川でのアクティビティやBBQも予定してますし、チームや家族で参加しても最高に楽しると思っています。この間、カリフォルニアに行ってきたんですよ。国際キャンプのコーチを務めるEliot Kellyの道場をはじめとする柔術の道場や総合格闘技ジムのアルファメールでレスリングのムーブメントと技術のセミナーを担当させてもらったんですけど、やっぱり日本のレスリング技術ってすごくニーズがあると思ってて、私の能書きより、特に中村の動きとかは、実際見ると「こんなの見たことない」と驚かれます。
是非、多くの柔術家やグラップラーの方にご参加いただきたいです!
――今日はありがとうございました。キャンプも含めて、スポーツデザインラボの今後に注目したいですね。